その人が話すと物事がすっと進む。いつもいい出会い・いい人たちに恵まれている。そんな人、みなさんの周りにもいませんか?
今回紹介するスタッフ稲垣は、家に対する思いを周囲に話したことがきっかけで、以前から妄想していた“家族や友人が集まるキッチン”を実現しました。
いい家づくりパートナーを引き寄せた秘訣は何だったのか。話を聞く中で、「素直に自分の『やりたい!』を話してみる」「相手へのありがとうの気持ちを忘れない」など、大切にしている姿勢が見えてきました。
周囲に導かれて妄想を現実にした稲垣のLDKリフォームの記録。vol.1では幼少期から今までの家に対する思いが、どのように“家族や友人が集まるキッチン”に繋がったのか、本人の目線でお届けしていきます。
25年前に経験した施主支給で知った、自分の家をつくる楽しさ
私は、2人の子供たちと、築25年の家で暮らしています。
今回のリフォームのきっかけに繋がる部分もあるので、この家のことについて、少しお話しさせてください。
ここは元々母の実家だったところ。私が大学生になる時に今の建物に建て替えました。3 階建ての1階部分が祖母の家、2階が父と母の家、その他の5部屋を賃貸物件として貸し出す、いわゆる賃貸併用住宅にする計画でした。
当時私は、3階のひと部屋で一人暮らしをすることになっていました。建て替えるにあたって、両親から「内装を自分の好きなように考えていいよ」と言われたんです。
ずっと憧れていたのが「魔女の宅急便」の家の壁に付いているような照明。「ああいう雰囲気のものを付けたい!」と思ったところで、当時は、ネットで調べたり、買ったりすることもできない時代。電気屋さんやインテリアショップを一店一店巡って、一日かけて選んだものを、取り付けてもらいました。
今思えば、施主支給みたいなことを1997年頃に経験していたんです。
ハウスメーカーで建てた家なので、その当時自由にできたのは直付け照明を選ぶことと、壁紙を指定するくらい。また、打ち合わせも両親が主導で進めていたので、私が経験したのは、家づくりのほんの一部分でした。
それでも、照明ひとつとっても、いろんな選択肢があることを知って。こだわって選んだものを頼んで取り付けてもらう。今では当たり前になったことかもしれないですが、「自分の家ってこんなふうにつくるんだ」と知った、楽しい経験でした。
大学を卒業した後も結婚するまで、ずっとその空間に住んでいました。そこを拠点に、とても楽しく過ごしていましたね。
結婚を機に3階の部屋を出て、賃貸のアパートに2年間暮らし、その後今住んでいる1階に戻ってくることになります。元々、私の祖母が暮らしていた1階部分は、祖母が亡くなってからしばらく空き家の状態になっていました。
そんな状況の中、私が「子供も欲しいし、もう少し広い家に引っ越そうと思って」と母に話したら「じゃあここに来たら?」と言ってくれたんです。
「いい空間だね」って言いながら、家族で考えてアップデートしていきたい
人が出入りする時に修繕をする賃貸部分とは違い、私が住むことになった1階部分は、祖母が住んでいた当時のまま。壁紙も、床もそのままの状態なので、汚れていたり、修繕が必要な場所も結構ありました。
賃貸アパートに住んでいた時は「傷ひとつつけられない!」という苦しさの中で生活していたので、この家に来てからは、自分の家だから、できることは自分たちで手を入れてみようと思うようになりました。
お手洗いの壁を塗ってみたり、寝室の一面だけ好きな色にしてみたり。その当時、4歳だった長男も一緒に塗ったのですが、すごく楽しくて。壁一面塗っただけでお部屋の雰囲気も変わって「いいね〜!」とふたりで言い合ったのを覚えています。
そんな体験が影響しているかどうかは分かりませんが、長男は家をいじることが本当に好きみたいです。
やっぱり、こういう楽しさを家族で共有できるのは嬉しいですよね。「いい空間だね」って言いながら「じゃあ、次はこういうふうにしてみよっか」と、眺めつつ、手を加えつつ。同じ屋根の下に住んでる家族と、この先も同じ空間を共にするので、一緒に考えてアップデートして行きたいと思うんです。
そんな風に、自分でつくることが身近にあるのは、母の影響が大きいのかもしれません。
私の母は、とにかく洋裁が好きで、ものづくりができて料理も得意。なんだったら、ちょっとした家具もつくってしまう。本当に器用な人です。
小さい頃、父の事情でアメリカに住んでいたことがあったのですが、我が家はお金の余裕がなかったんです。
好きなものを何でも自由に買えるわけじゃない状況下で、「ちょっとした棚が欲しいね」となる。そうすると、裏の森から木を拾ってきて母が棚をつくるんです。何かが壊れたら、自分の手で直したりもする。
そんな姿を間近で見ていたから、家に自分で手を加えることは、自然な選択でした。
一方で、プロの力を借りて、大きく変えたいという思いも、ここに住みはじめた当初からありました。
この家は、祖母が住むことを前提に考えられた家。間取りも祖母が持っていた家具や持ち物に合わせてつくられています。
例えば、来客用のお布団を入れるために、家の真ん中に、奥行きのある押し入れがある。その分、玄関や廊下が私たち家族にとっては、狭かったりします。
許されるなら、仕切られている壁を取り払って、自分たちの暮らしに合わせた間取りに変えたい。家の中全部を変えてみたいという気持ちはありました。でも予算には限りがあるので、できる範囲でどこまでお願いするか。
家の中でも、特に強い思いを持っていたのが、今回リフォームをすることになったキッチンでした。
この先ずっと、ここでご飯を食べるなら……。
キッチンを変えたい理由は、大きく三つあります。
一つ目は、キッチンに閉塞感があって、それが嫌だったから。
二つ目は、その閉塞感が故に、子供たちがご飯をつくっている過程を見れないこと。
というのも、うちの子供達は、ご飯をあまり食べない子たちなんです。
子供ってきゅうりが苦手でも、自分でもいだ瞬間に食べたりしますよね。つくっている過程や、食材について、自分の興味が沸くと、自然と口にしてくれる。
特に最近はコロナだったこともあって、あまりスーパーに連れて行けない。そうすると、食材を買うという体験もない。子供達と一体感もないままに、私はキッチンでご飯をつくりはじめる。
その手元が見えなければ、私の手作りだろうが、コンビニのご飯や出前だろうが、みんな同じなんですよね。
それはこのキッチンで強く感じていて、料理中に、つまみ食いでもいいから、食べてもらいたい。この先ずっと、ここで朝晩ご飯食べるなら変えたい、というのが、二つ目の理由です。
三つ目は、ホームパーティーに向いたキッチンにしたいから。我が家では、週末に、よく人を呼んでご飯を食べる会を開いています。
ただ、今のキッチンでは、私がご飯をつくりながらみんなと食べることができないんです。小さな開口部のところに、みんな集まってきてくれるんですが、なんだか喋りづらい。
「一緒に料理したい!」と言ってくれる人もいるのですが、2人並ぶのが精一杯。奥にある冷蔵庫へもアクセスしにくく、各々が好きにビールを取りに行けない。それで、いつも私がビールを取りに行く係というのもなんだか不便を感じていました。
この三つを解消してくれるオープンなキッチンの形をずっと思い描いていました。
人が集まって食卓を囲む。それは小さい頃から普通にあった過ごし方
今思えば、私の実家はよく人が集まる環境でした。
実は私が小さい時、父はずいぶん長い間、学生をやっていたんです。なので、学生仲間が遊びに来て、母が料理を出すということを頻繁にしていました。
アメリカでは、家族持ちの留学生たちが住む地域に住んでいたんです。その地域には、スリランカやトルコなど様々な国から来た家族が暮らしていて、みんなそこで肩を寄せ合うように、何かとご飯会をしていました。
その後、父がようやく学生を抜けて、日本に戻り大学の先生になったのですが、そうすると今度は、大学の生徒たちがうちに集まる。卒論の時期は、みんな寝袋を持って泊まりこんだりしていました。
その当時住んでいた家は、庭もあったので、みんなでバドミントン大会したり、BBQをしたり。それが、普通の週末の過ごし方でしたね。
自分が一人暮らししてからも「何つくろうか?」と考えて、人を呼んでは振る舞って。違うコミュニティの仲間たちを「この人たち絶対に気が合うはず」と招いて、「やっぱり友達になった!」と引き合わせたりしていました。
こうして振り返ってみれば、ずーっとそんな過ごし方をしていたんですね(笑)。なんとなく人と過ごせるオープンなキッチンがいいと思うのは、そんな体験が影響しているのかもしれません。
一切の迷いなく。やりたかったのは、木の天板と白いキッチン
好きなキッチンを思い描くのは苦労しませんでした。最初からイメージしてたのは「木の天板」と「白基調」のキッチン。これを一回やってみたかったんです。
大きく影響を受けているなと思うのは、小さい頃にアメリカで暮らした時期に見たキッチン。遊びに行った友達の家や、自分たち家族が暮らしていた家……その多くが木の天板に白いキッチンだったんです。
その時の記憶が、ずっと頭の中にあって。自分に馴染みがあるし、柔らかい雰囲気を感じて「いいな」と思うんです。私のキッチンのイメージとしては、ここが原点なんだと思います。
今回も、リフォームをするにあたってInstagramで好きなイメージを集めたのですが、保存するキッチンは見事に一緒!「ということは、私はこれをやりたいんだな!」と確信。迷いはなかったですね。
もちろん、他にも「素敵だな」と思うキッチンはありました。けれど、「これは好きだけど、諦めた方がいい」ということも、何となく分かってくるんですよね。削ぎ落として一つに決める。そんな潔さは、年齢を重ねて出てきたのかもしれません。
そうして見えてくる、自分が本当に譲れないもの。私の場合それは、過去の住まい体験から肌感覚で構築されていったものでした。
周囲に思いを話したことが動き出すきっかけに
今のキッチンで解消したいことや理想のイメージはできていたものの、「ではそれを我が家で実現するには?」「どこに頼んだらいい?」など、具体的な計画は、まだぼんやりしていました。
動き出すきっかけになったのは、toolboxに入社する前から抱えていた「こんな商品あったらいいのに」を周囲に話してみたこと。
個人的な好みの話ではあるのですが、私は“キッチン=木の天板”。なのに、日本では木の天板があまり売っていない。入社前からずっと好きだったtoolbox、好きな商品もたくさんあるけれど、キッチンだけは私の中で、好みのものが見つからなかったんです。
ある時、その思いを商品開発チームのスタッフに話してみました。そうしたら「キッチン担当のスタッフが、木の天板を開発検討中らしい」と判明。そこで繋がったのが、今回キッチンのデザインを担当してくれたさくらさんでした。
ほぼ初めて話すさくらさんに、ひと通り思いを共有して「木の天板いいよね」と意気投合。その後、割とすぐに我が家に招待して、ご飯会を開催したのを覚えています。
声をかけてみたら進んじゃった。あとはなるようになれ!
当初、工事のことは、前職でお付き合いのあったリフォーム会社さんにお願いしようと思っていました。
ただ、その時は2022年の11月頃。ちょうどtoolbox内でも、リフォーム工事を本格始動させるタイミングでした。「TBK(ツールボックス工事班)でお願いできたりもするのかな?ちょっと話をしてみようかな?」そんな気持ちで、立ち話程度で相談してみたんです。
そこで「いいじゃん、やりましょう!」となり、事態が急に具体化!
初めて工事をお願いするとはいえ、TBKをパートナーに選ぶことに不安や抵抗はひとつもなかったです。一緒に働いている人たちだからという前提も、もちろんありますが。好みのテイストや趣味を理解してくれる安心感、持っている知識やセンスに、全幅の信頼を置いているというのが根底にあったからだと思います。
ただ、その当時はまだ入社して半年くらい。担当となる施工チームのメンバーや、その人がどんな人柄なのかまでは知らない状態でしたし、正直、知らぬが仏みたいなところもありました。声かけてみたら進んじゃった!けれど、細かいところはなるようになれ!みたいな心境でしたね。
最初に相談したさくらさんにキッチン周りの設計を。キッチン以外の設計や、工事全般のまとめ役をTBKのモリソンに担当してもらい、計画を進めていくことになりました。
私はいつもそうなのですが、自分が「やりたい!」と思ったことを誰かに話すと、不思議とそこからスーッと導かれるように実現するんですよね。周りの皆さんにいつも助けられているな、ありがてぇ、ありがてぇと思って生きているんです(笑)。
だから、「やりたい」という気持ちを素直に、変なプライドとかなく真摯に相手に伝えることは、自分の中でいつも重視していたりします。
今回もそんな気持ちが届いたのか、いいパートナーと巡り合うことができたと思っています。もし今、同じような状況にいる方も、ショールームに来てスタッフと話してみたり、友達に話してみると、そこから繋がりが生まれ、動き出すきっかけになるかもしれません。
次回は、漠然としたキッチンのイメージを形にしていく過程について、お話します。