人気照明たちの生みの親は、東大阪の町工場
toolboxのサイトが開設した翌年から11年に渡って販売して、沢山の方に愛用いただいていた『工業系レセップ』。当時、設計業務にも携わっていたスタッフが、リノベーションの現場でよく採用していたので、ぜひtoolboxのラインナップに加えたいと思ったのがはじまりです。
露出配管に似合う、無骨な佇まいは唯一無二のもの。製造元の照明事業撤退を受け、toolboxで復刻に至るまでの経緯を前編でお伝えしてきましたが、後編では、2011年からお取引きをはじめた製造元、笠松電機製作所(以下、笠松)の社長さんとのエピソードをお伝えしたいと思います。
製造元の笠松さんは、主に工場用照明を手がけていた、創業105年の東大阪の町工場です。「工業系レセップ」をはじめ、「工業系照明」「レトロブラケットライト」「看板灯」「ボールアームライト」「カプセルライト」などの直付け照明や、「ガラスボール照明」「レトロペンダントライト」「ゼネラルシェードランプ」などのペンダント照明まで、たくさんの照明を取り扱いさせてもらっていました。
笠松さんの商品カタログを兼ねた会社ホームページは、WEBをデザインするhtmlのソースが出回りはじめた90年代につくったままのような、飾り気のないサイト。その中にたくさんの照明パーツの写真がずらっと並び、このシェードを組み合わせて使ったら面白そう。これもいいかなと、何をtoolboxで取り扱わせてもらうのか、セレクトするのがすごく楽しかったのを覚えています。
工業系シリーズにみられる、工場用につくられていたからこその、無骨なその佇まいや、「レトロペンダントライト」と名付けた名前の通り、どこか懐かしい、実際昭和の初期から外灯として見かけてきたような、オーソドックスなそのデザインは、住宅だけでなく、オフィス、店舗など、沢山の方に愛されてきました。いまでも街を歩いていると、ふとした瞬間、見かけることがあります。
職人気質な町工場の社長は、どんな人?
最初に取引開始のお願いをしにいった時のエピソードを代表の荒川に聞いてみました。
- 荒川
別の担当からメールで事前に、お取引きをさせてもらいたい旨のご連絡をいれるも返信がなくて。一度、きちんと対面でご挨拶をしようと、東大阪の工場にお邪魔したんだよね。ガラガラと工場の扉を開けると、新聞を読む社長さんがいらっしゃった。
- 荒川
何度か商品を取り扱いたいとご連絡をしていた……と玄関先で自己紹介をはじめたら、「あぁ、ええよ」と、ボソっとそっけない返事だけが返ってきて。
口数少ない職人さんといういかにもな雰囲気に内心ドキドキしながら、toolboxの思いとかを伝えようとしたんだけど、「ちょっと用事あるから、ごめんな」と、外に出て行ってしまって取り残された。
しばらく待っても戻って来ないから、帰ろうと駅に向かって歩いていたら、近くの喫茶店で社長さんがまた新聞を読んでいたなんてのが、社長さんとの初対面だったんだよね(笑)。
注文対応のメールも、初期のころは社長さんが自ら対応してくださっていました。いつもは、注文内容だけが書かれた、必要最低限のそっけいないメールなのに、ある時からメールの最初に「お世話になってます」の一文がついた時は、みんなでそれを共有して大喜び。いま思えば、それは息子さんが会社をお手伝いしはじめたタイミングだったのかもしれませんが、常に寡黙な職人気質の方、私たちの中での笠松の社長さんはずっとそんなイメージでした。
後日談 ご友人に聞く、笠松社長さんの素顔
そんな中、2022年秋に突然飛び込んできた、笠松さん、照明事業撤退のニュース。そこから復刻までの経緯は、前編でお伝えしましたが、約1年の復刻版開発の間にも、愛用者からの「工業系レセップ」に再販を望む声は多く寄せられ続けます。製造元には、こういったユーザーの声は直接届きづらいけれど、それをお伝えして、これまでの感謝をお伝えしたいという思いが、我々の中で募っていきました。
そして、復刻版の完成形が見えてきた2024年1月。なんとか、いまの状況と、これまでのユーザーさんからの声を笠松の方にご報告したいと、我々スタッフは新しい商品サンプルを抱え、東大阪へ向かいました。
工場のあった場所はいまはもう更地となり駐車場へ。なにか手がかりがないかと、かつて荒川が社長さんをお見かけした近所の喫茶店を訪れます。
お店をやっているご夫婦に事情を話し、お話を伺うと、社長さんは毎日のようにこの喫茶店に通っていたとのこと。仕事中は寡黙だったかもしれないけど、このお店で他にお客さんがいない、店主のご夫婦と3人の時は、よく話す方だったと意外な素顔も。社長の妹さんですら、兄の笑顔を見たことはないといっていたそうなので、この喫茶店にいる時だけは、仕事を離れ、素に戻れる瞬間だったのかもしれません。
会社を片づける時には、「金型とか好きなの持っていきなと言われたけれど、私たちはよく分からないからと……」と、秤だけもらったそう。
喫茶店で、近くで社長の小学校時代の同級生の方がお米屋さんを営んでいるとお聞きし、そのお店にも突撃。
突然の訪問にも関わらず、名刺をだすと「toolbox知ってるよ」と、椅子を差し出してくれ、社長さんとの思い出を話してくれました。
お米屋の店主は、笠松の社長と小学校4年生からの同級生。会社を片づける際は、少し手伝いもしていたそう。「(社長が)toolboxはよく売れている、注文も増えていると話してたから、会社の名前を覚えているよ」とお聞きして、話題にだしてくれていたんだと、嬉しくて泣きそうになりました。
「当時は、設計担当の社員もいたけれど、社長が先代から引き継いだときは、年上の社員ばかり。ここ10年くらいの商品は自ら設計していたんじゃないかな」
「日中は、会社に会いに行ってもたいしてしゃべらないけど、社員が帰ったあとに、たくさんしゃべる人だった。(荒川が最初に訪問した際、喫茶店にいたエピソードも)人見知りだから、逃げたんだろうね(笑)」
と、社長さんの素顔が垣間見えるエピソードを沢山聞かせてくれました。
名品が消えていく......ものづくりの現場の高齢化、担い手不足
toolboxの商品は、オリジナル品から、既製品のセレクトまで多種多様なものづくりを行う全国のパートナーの協力によってつくられています。個人の職人から、今回のような家族経営の町工場、大手の大規模工場までその数は、200社にものぼります。
2010年にtoolboxのサイトを立ち上げてから、様々なパートナーによるものづくりを発信・販売してきましたが、近年、今回のように、後継者不足により事業を撤退される取引先や、職人の高齢化により廃盤になったり、仕様が変更になる商品が増えてきました。
2025年問題が目前に迫る昨今、少しでも多くの優れた名品を世に残していく術の一つとして、今回は、「工業系レセップ」の復刻に取り組みましたが、世界情勢の変化や、原価の高騰など、ものづくりの現場を取り巻く情勢は安定しているとは言い難い状況です。それでも、よりよい住空間をつくりあげるアイテムをみなさまにお届けするために、今後もパートナーとともに、ものづくりに向き合っていきたいと思っています。